【相模原殺傷】「一つだけ…」認められなかった植松被告の発言 判決後接見で明かす
この日、青沼潔裁判長が死刑判決を言い渡して閉廷を告げた直後、被告は証言台の前で突然手を挙げ「すみません。一つだけ」と言って発言の機会を求めたが、認められなかった。(一部抜粋)
昨日の夜、とある報道番組で死刑判決のニュースを見た。
ニュースの〆で女性アナが、ご家族の心情についても触れていた。内容はどうあれ。
言わんとしている事は確かに納得したんやけども、1つ違和感が残った。
この事件の判決は被告人の死刑で終息しました……だけでええのんか?
被告人の考え方は、確かに常軌を逸脱してるんやけど、この事件以外にこれまで起きた『施設入居者に対する暴力事件』と何が違うんや?
インパクトの大きさに違いがあるだけで、起きてる中身の本質はおんなじ。
何とか無事生きてはったか、亡くならはったかの違い。
この番組だけやないんやけど、美辞麗句を並べて、さも
御気持ち慮っております
…的なニュースキャスター達の発言にがっかりする。
何で介護関係の仕事の離職率は相変わらず高いのか、何でこんな事件が起こるのか、介護系の仕事に対するケアはホンマに足りてるのか……とか、このタイミングやからこそ、改めて踏み込まなアカン事はいっぱいあるはず。
もうコロナはそこそこでええわ。
要らんとは言わん。ひょっとして、キー局の報道は、この話題だけやっといたらええわ……くらいの認識でおるんか?
極端やけど、1ヶ月の勤務の中で3週働いて、1週休んで貰うとか、長く続けて貰える制度を作りませんか?……みたいな提案するとかさ。
こんなんこそ言うのは『ただ』。なんぼ言うても『気付き』はあっても『害』はない。
綺麗事が通じない事が常にあるやろう仕事なんやから、根本的に直さんと、この手の事件はずっと起きるはず。
実際、今一緒に住んでるワンコも、痴呆が進んで、訳も分からずワンワン吠える事がある。
ワンコに対しても、分かってても、自分がむしゃくしゃしてると、時々イラッと来たりする。
身内でもそうなんやから、他人の御世話となったら、イラッと来る時の気持ちの『振り幅』も大きいんちゃう?……と勝手に思てしまう。
例えその時は『手を出さない理性』が働いたとしても、『我慢』と言う精神的な疲労は蓄積されて行ったら、いつかは……。