ここ数日、昔、国を騒がせた宗教法人の話題で持ちきり。
またテロ行為を行う可能性は否定できない。
確かにそう。起きてからでは遅いから。関係ない人が巻き込まれる理由なんか何処にもないから。
この手の話題が出てくる度に毎回感じる事なんやけど、人間の『思い込み』ってやっぱり『狂気』じみてるし、それだけに思いがけないパワーを産み出すもんなんやなぁ。
これは別にオウムだけやなくて、どの宗教にも言えることなんやけど。
仏教も江戸時代までは国政に大きな影響力持ってたわけやし、イスラム教もキリスト教も『自分達の神』の為なら『お祈り』から『殺戮』まで何でもやる。元は同じ教えでも宗派が違うだけで『共食い』のように潰しあう。
昔、じいちゃんの家も、『とある宗教』の教会をやっていた。決して武闘派などではない。
そこは神道の流れだけあって、一般的な作法や所作など教えて貰えた。そう言う部分は今でも役に立っている。
子供の頃から当たり前のように教えられてきた(人様には優しく…的な)事は、何かあった時に、ふと立ち返れる拠り所になっている。
けれども未だに、それを周囲の人達に広めようと言う考えには至らない。
なぜなら身内の中で嫌なことをいっぱい見てきたから。
同じ教えを乞うてきた筈やのに、『神様の名前』を語りながら身内同士でまで下らない争いを起こし『絶縁』する。
なんでこうなるんやろうか、と。
神様ってなんなんやろね? と。
今一つ信仰に踏み込めなかった理由。
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今は地元から遠く離れているので、完全に疎遠になってしまっている。その後、じいちゃんちがどうなったのかも全く聞いてないし、聞く気もない。
その事抜きでも仲良く出来る身内は今も居てくれてるから、ありがたい限りやし。
かと言うて、神様を信仰することは悪いことやとか、宗教に携わっている人達は皆、気でも触れてるんや、とか言いたい訳やなくて、
ようは何でも『ココロ』の持ちようでしょ?
って単純に思ったりするだけ。
あのオウムにも『本人は至って真面目な気持ちで入信してる人もおるんやないか?』と思てしまう自分も居てる。
ひょっとしたら自分も、ドロドロの身内の争いがなく、昔のまま皆で仲良く出来てたら、あのまま信仰を続けてたかも知れんし、一生懸命、布教活動に励んでいたかも知れんわけで。
端から見たらオウムの人達は危険極まりないと思てしまうのはよう分かる。
そこはしゃあない。
危ないもん。既にやってしもてるから。
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けど難しいのよね。
1回『ココロ』の拠り所をそこに設定すると変更が効かないから。
『疲れきってるところで、もたれかかれる場所が出来たら、人間なかなか立ち上がれない』のとおんなじ。しかも歳を取れば取るほど。
そう言う人達は、普段話していても、二言目には『神様、神様』言わはるし、自分と違う価値観の人は真っ先に否定しはる。
果たして何がホンマに正しいのやら。
相手が神様やろうが、偉人やろうが、感銘を受けた本の著者やろうが、そこに自分の『ココロ』を預けられて、安心を得られる事は良いことやと思う。
けど、そこで安心してるだけやったら、どこの神様を信仰しようが、どこの誰かさんを尊敬しようが『皆同じ穴の狢』に思えて仕方ない。
安心してるだけやからそこから抜け出せない。
たかだか『ラベンダーの香り』が好きなのか、『白檀の香り』が好きなのか、その程度の差でしかないような気がする。
そこで自分はどうしたいのか……
どうするのか……
ホンマ『ココロ』の持ちよう。
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そういえば若い頃、街中でエホバの証人の勧誘受けた時の事を思い出した。
声を掛けてくれたお姉さんがあんまりにも可愛くて、『お互いの神について語り合いましょう』と誘ってみたら逃げられた。
………むかついた。